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剣山荘 Gallery
-佐伯兵次さん満寿男さん時代-

Kenzanso



ー第2室ー



佐伯兵次氏・満寿男氏時代の

剣山荘の写真Gallery


第2室です




[23]



剱澤小屋のほうに向けて設けられていた
二代目建物のベランダ。
食堂から出入りできるようになっていました。

よくここで星を眺めたり、
椅子を持ち出して皆で話をしたりしていたものです。

昭和50年(1975)ごろの写真と思われます

このベランダは剣山荘が現在の地に移転された翌年、
昭和45年(1970)に作られたそうです。
その経緯について、
満寿男さんが下の動画で話しています


満寿男氏へのインタビュー動画(vol.05)










[24]



満寿男さんの長男、じゅっちゃん。
かわいいですね。

赤い帽子の満寿男さんもお若いです。
余白に「78」とあるので、
1978年(昭和53)でしょうか。

右端は私(「ワオ!フル」代表)です。
長袖の下着用シャツをさらけ出し、
「田舎の子供」丸出しですね。
足元もゴム長です。

昭和53年だとすると、
私が初めて剣山荘に連れていってもらった年ですので、
小学4年生ということになります。
じゅっちゃんは一つ下なので、
小学3年生。
かわいいはずです。

じゅっちゃんはよく見ると
「きをつけ」をしてますね。
私も含め、この頃の芦峅寺の子供たちは
写真に撮られるという経験が少なかったため、
カメラを向けられると緊張したのでしょうね。

アルバイトらしきお兄さんの荷物が大きいことや、
光が夏山の早い時期の感じがすることなどから察するに、
満寿男さんの引率のもと、
下界から剣山荘へ上山する途中のひとコマと考えられます。
となると、日にちは7月27日に絞られます。

なぜと申しますと、この当時は芦峅寺の雄山神社の大祭が
7月25日と26日に開催され、
毎年その翌日に登ることになっていたからです。










[25]



これも同じ日のよう。
ということは
昭和53年(1978)と思われます。










[26]



じゅっちゃんと私(「ワオ!フル」代表)の様子から考えると、
前の写真([25])の翌年、
昭和54年(1979)ぐらいですかね。

二代目剣山荘の「主人部屋」兼「居間」というような部屋で、
満寿男さん夫妻がいつもいて、
一日2回のお茶の時間
(朝食の仕事と夕食の仕事が終わった後)に
従業員がみんな集まる場所でした。

満寿男さんが背にしている壁の向こうは受付です。
向かって右手のほうには
玄関につながる
休憩室のようなスペースが設けられていました。

その休憩スペースとこの部屋との間にはガラス戸があり、
部屋の中が見えるように
なっていました。
取っ手をグルグル回して交換手を呼び出す
昔ながらの電話が置いてあって、
お客さんもガラス戸を開けて使えるように
なっていたので、
当時剣山荘を利用された方は、
この部屋をなんとなく憶えておられるのでは
ないでしょうか










[27]



写真[26]と同じ部屋を
異なる角度から撮影した写真です。
右側の奥さんが
受付との間の壁を背にしていることになります。

有難いことに日付が入っているので、
昭和60年(1985)8月10日とわかります。

写真中央の白い板状のものは衝立〈ついたて〉で、
その奥が満寿男さん夫妻の寝室でした。
私(「ワオ!フル」代表)も小学生の間は
じゅっちゃんと一緒に
その部屋で寝起きさせてもらっていました。










[28]



少し年月をさかのぼりますが、
写真[26]と同じころ、
昭和54年(1979)ごろの写真。

二代目剣山荘の食堂です。
この時期に剣山荘を利用された方には
懐かしい光景ではないでしょうか。

左側の日光が差し込んでいるところが
写真[23]のベランダへ出入りできる
ガラス戸のあったところです。

このように、
じゅっちゃんと毎日「お勉強の時間」がありました。

また、このテーブルを4つ合わせて、
アルバイトのお兄さんやお姉さんたちと
よく卓球をやっていました。










[29]



二代目剣山荘の
屋根での布団干し。

天気のいい日はこのように
みんなで力を合わせて布団をポイポイと
屋根の上へ投げ上げ、
干していました。
とても楽しい仕事でした。

写真にあるようにポットなども持って上がり、
お茶の時間をここですることもありました。

また、屋根上で布団にくるまって寝る時の
気持ち良さといったら格別です。
皆さんの表情にもそれが
あらわれていますね。

じゅっちゃん(一番右)も
すっかり青年になっています
(じゅっちゃんカッコいい!)。
平成初期ごろと思われます










[30]



もう1点、
屋根上での布団干しがありました。

時期は少し戻って、
昭和54年(1979)ごろですかね。
というのも、白いシャツの方が
私(「ワオ!フル」代表)の
小学生ごろの記憶にあるアルバイトさんだからです










[31]



年代不明ですが、
昭和四十年代と推測されます。

立山黒部アルペンルートの高原バスですね。
たぶん美女平駅です。
バスの形にノスタルジーがかき立てられます。

ボンネットバスのフロントガラスの上には
「こまどり」と書かれているようなので、
かつてはバスにそれぞれ名前が付けられていたのかもしれません










[32]



ここから3点は
満寿男さん撮影の写真集。
剣山荘の近くにある、クライミング練習の岩場です。

時期は不明ですけど、
昭和五十年代初めといったところでしょうか。

写真ではずいぶん高い場所のように見えますが、
実際は4~5メートルしか高さがないそうです。

とはいえ一度、
剣山荘のアルバイトが練習中に落下し、
肛門が裂けて腸が出てくるほどの大怪我をしたことが
あるとのことです。

運悪く室堂の診療所に医師が不在だったものの、
インターンの医学生が一人だけいたので
応急処置をしてくれ、
大事に至らなかったという話です










[33]



満寿男さんの〝岩場写真集〟の2点目










[34]



満寿男さんの〝岩場写真集〟の3点目。
なかなかプロっぽい感じがしますね




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[35]



プロといえば、
富山市出身のプロカメラマン、
柳木〈やなぎ〉昭信さん。

アラスカやオーストラリアなどの大自然をテーマに
さまざまな場で
活躍されていますが、
原点は立山とのこと。
若き日に剣山荘でアルバイトをし、
立山の風景や雷鳥などの作品も
多数発表されています。

こちらは平成年25年(2013)
富山県高岡市の
ミュゼふくおかカメラ館で開催された
写真展でのツーショット。
左が柳木さんで、右が満寿男さんです。

次([36])から5点は、
柳木さんが撮影された貴重な写真です。
お楽しみください










[36]




創業者の兵次さんです。
カンジキ作りの様子ですね。

兵次さんのお若い感じから、
まだ昭和四十年代だろうと思われます。

私(「ワオ!フル」代表)も、
芦峅寺の満寿男さん宅の裏庭に
このような小さな作業小屋があったのを、
おぼろげに記憶しています。

左奥に湯気が上がっているのが
長方形の大きな鍋で、
そこで材料の木を茹で、
熱いうちに兵次さんの前にある丸太で
曲げるのだそうです。

この頃の立山の登山シーズンは
7月中旬からお盆ごろまでの1ヶ月程度しかなく、
それ以外のオフシーズンは
カンジキ作りに精を出していたとのことです。

当時は「立山カンジキ」「芦峅カンジキ」として
登山界で非常に重宝され、
芦峅寺ではこの仕事に従事する家が
何軒もあったと聞いています。
満寿男さんの家は、
主に関西のスポーツ店におろしていたそうです。

カンジキ作りについては、
満寿男さんが下の動画で語っています。


満寿男氏へのインタビュー動画(vol.03)



令和6年(2024)現在、
立山カンジキを作れる人はたった一人になっており、
満寿男さんのお話は
とても貴重な証言だといえます










[37]



『兵次さんのカンジキ作り』2点目。

光のとらえ方が
素晴らしいですね










[38]



『兵次さんのカンジキ作り』3点目










[39]



『兵次さんのカンジキ作り』4点目。

兵次さんの気合が伝わってきます










[40]



『カンジキ作り』ではありませんが、
柳木氏による兵次さんの写真。

上の4点よりは少し年月が経っていそうですね。
孫のじゅっちゃんが
小学4、5年生と見えますので、
昭和55年(1980)ごろでしょうか。

黄色いプラスチック製のヘルメットが懐かしい。
芦峅寺の小学生は皆このヘルメットをかぶって
登下校していました。

プロが撮ると、
何気ない日常の一コマが
とても味のある1枚になるのですね



以上、柳木さんの『兵次さん写真集』5点でした。

柳木さん、
当ギャラリーでの展示にご協力いただき、
まことにありがとうございました!



ちなみに
ちょうど本日(2024年7月15日)発売の
『山と渓谷』8月号
巻頭グラビア8ページを、
柳木さんの立山の写真が飾っています










[41]



ここから7点は、
満寿男さんが平成元年(1989)に
剣山荘から雷鳥沢ヒュッテに移ってからの
写真になります。

日付が入っているので、
平成10年(1998)の10月19日とわかります。
雷鳥沢に架かる橋の
架け替え作業の様子です。

現在は公の機関(環境省かな?)が
しているそうですけど、
当時は雷鳥沢ヒュッテがアルバイトなどを出して
行っていたそうです。

あまり目にしない光景かと思いますので、
割と近い年代の写真ではあるものの、
展示することにいたしました。

コロナ禍の折に再評価されたことですが、
登山道の整備や橋の架け替えなど、
山小屋の果たす役割の大きさを
改めて痛感させられる写真ですね










[42]



『雷鳥沢の橋の架け替え』2点目










[43]



『雷鳥沢の橋の架け替え』3点目










[44]



『雷鳥沢の橋の架け替え』4点目










[45]



『雷鳥沢の橋の架け替え』5点目。

仕上がったようです










[46]



『雷鳥沢の橋の架け替え』6点目










[47]



以上、『雷鳥沢の橋の架け替え』7点でした




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[48]



ここから13点は、
剣山荘には直接関係がないものの、
満寿男さんが撮影した
立山の神事2件の写真を
紹介していきます。

まずは
平成8年(1996)7月10日に行われた
立山頂上に鎮座する雄山神社
峰本社〈みねほんしゃ〉の
ご遷宮〈せんぐう〉からです。

立山の主峰である雄山の隣の山、
大汝山〈おおなんじやま〉の仮社殿〈かりしゃでん〉に
安置していたご神体を
雄山の新社殿に遷〈うつ〉す行列です。

新社殿は、
万延元年(1860)以来の建て替えでした。
江戸時代は加賀藩により
数十年ごとに建て替えが
行われていましたが、
明治以降は加賀藩の保護がなくなり、
約135年という長い間があくことになりました。

私(「ワオ!フル」代表)は以前
雄山神社の神主をしていたので、
このご遷宮に参加していました。

3,000メートル級の稜線で
このような行列が行われるのは非常に珍しいことです。
また、とても勇壮な行事でもありました










[49]



写真[48]の続きです。
行列が少し進んでいますね







[50]



こちらが雄山の頂上です。
同じく平成8年(1996)7月10日の写真です。

社殿の近くに
神さまか仏さまのような
お姿が見えませんか。
どことなく、
修験道の開祖、
役行者〈えんのぎょうじゃ〉さんのように
感じられます。

たまたま何かが写り込んでいるのでしょうが、
場所が場所だけに、
本当に神さまか仏さまだったらいいのになぁと
思ってしまいます










[51]



行列が到着したようですね










[52]



頂上の狭い場所で、
新社殿にご神体をお納めする神事が
行われます。

雅楽を奏される神主さんたちも、
緊張気味で待機しておられます










[53]



頂上の社務所前。

山小屋関係者や芦峅寺の人など、
ゆかりのある方々にも
衣装をまとって
ご協力いただきました










[54]



神事も無事終了し、
直会〈なおらえ〉(神事後の飲食)の時間。

頂上社務所の半地下のような場所です。

ずいぶん前はここで蕎麦やうどんを
有料で提供していたのですが、
この時期には既にそれをやめて
通常は閉鎖していました。

ただ、悪天候などの折には
休憩所として開放していたので、
立山登山に来られた方には、
ここで休憩された思い出が
あるのではないでしょうか

直会ということもあり、
また、参列者は山男が多いということもあるため、
テーブルに伏せて置いてある湯飲み茶碗は
お茶用ではなく、
お酒(燗酒)用です










[55]



ここからは2年後の
平成10年(1998)6月21日
神事になります。

別山〈べっさん〉の頂上に
お社を再建立〈さいこんりゅう〉する神事です。

いわゆる「立山本峰」が背景となっています。
右から雄山、大汝山、
富士の折立〈おりたて〉です。
室堂山荘から
雷鳥沢、剣御前〈つるぎごぜん〉を経由して
別山へ向かっています。

立山連峰の各山頂には
それぞれお社や祠〈ほこら〉が
祀〈まつ〉られていたのですが、
明治初めの神仏分離以降、
いつのまにか朽ち果てていき、
雄山と剱岳、薬師岳の三山しか残っていない状況に
なっていました。

そこで、
峰本社ご遷宮の際に〝仮宮〟として大汝山に作った社殿が、
平成8年(1996)以降、
神さまがおられない状態になっていたため、
それをヘリコプターで別山の山頂へ移し、
別山社〈べっさんしゃ〉として
祀ることになったのです。

別山社には、
新たに製作した神像〈神さまの像〉を
ご神体として納めることになり、
この写真の前日に
室堂山荘前の重要文化財「室堂小屋」で
入魂式を行い、
峰本社ご遷宮の折と同様、
今回も行列を組んでの
ご神体のご遷宮となりました。

写真中で先頭を行く
修験者姿の人は、
立山町で長年人気の寿司店を営まれていた
松井泰憲さん。
貸衣装などではなく、
正真正銘の修験道を志す方でした。
法螺貝の音色が懐かしい!










[56]



こちらも同じ平成10年(1998)6月21日です。

右から3人目の方が背負っている白い箱に
ご神体が納められているのだと
思われます。

その後ろの人が背負っているのは、
別山山頂の社殿前に
しつらえる祭壇で使用する
長い板です。

松井さんも写っていますね










[57]




いよいよ稜線に出ました。
奥の山が別山です。
山頂に石垣と社殿の屋根が
見えますね。

3,000メートル級の稜線でのこうした行列は、
非常に壮観で見ごたえのある光景でした










[58]



前の[57]から少し進んだ辺りの一枚










[59]



別山山頂のお社に到着です。
風や雪から守るための石垣で
社殿の周りが囲まれております










[60]



そして別山社にご神像を安置し、
このようにご鎮座の祭礼を
執り行ったのでありました。

以上、[48]から13点、
平成8年と10年の神事の様子をご覧いただきました。
全て満寿男さんの撮影です


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