佐伯宗作・宗弘・和起氏三代と
剱御前小舎 Gallery
Sosaku-Munehiro-
Kazuyuki Saeki
&
Tsurugigozengoya
剱御前小舎〈つるぎごぜんごや〉の主を
長年務められた佐伯和起〈かずゆき〉氏。
このギャラリーでは、
和起氏から預かっている写真を
展示していきます。
和起氏の祖父、宗作〈そうさく〉氏は、
立山の近代登山の黎明期における
第一人者のお一人です。
昭和10年(1935)の京都帝国大学
白頭山(朝鮮半島)遠征隊のガイドを務めるなど、
まさにスーパースター的な立山ガイドとして
大きな功績を残されました。
しかし、地獄谷で有毒ガスの雪穴から
後輩ガイドを救出した際に
自らの命を落とされてしまいました。
38歳の若さだったといいます。
その長男の宗弘〈むねひろ〉氏は、
父を奪った山を憎むことも避けることもせず、
これまた立山の山男として生き、
戦後復興期の国家的事業である
第一次南極観測隊の隊員に選抜されるなど、
素晴らしい活躍をされました。
そして宗弘氏の長男、和起氏は、
冒頭でも述べたとおり
剱御前小舎の経営を長く続けられ、
「剱御前のオヤジ」として
登山者からとても親しまれました。
昭和27年(1952)生まれというご年齢にしては
意外にも(和起さんゴメンなさい)、
デジタル機器の扱いに長けておられ、
祖父や父親、ご自身の写真を
多数アーカイブされており、
数年前に「好きに使ってくれ」と
私(「ワオ!フル」代表)に写真データを
お預けくださいました。
このたび、
「障がい者アートを広く世に知ってもらうための
ご支援」として、
当ギャラリーに写真を展示させていただきたいと
申し出たところ
ご快諾くださいましたので、
皆さまにもご覧いただけることになった次第です。
大正期や昭和前期といった
大変貴重な写真も多く含まれていますので、
どうぞお楽しみください。
なお、和起氏はご自身のホームページで、
今回展示させてもらっている写真をふんだんに使用しながら
宗作氏や宗弘氏の非常に詳細な解説を
展開されていますので、
ご興味のある方はこちらのURLから
お入りになってお楽しみください。
[1]

こちらが佐伯宗作〈そうさく〉さん。
昭和10年(1935)撮影の写真です。
明治30年(1897)、芦峅寺に誕生されました。
詳しいお話は和起さんのホームページで
述べられているので省きますが、
小学校卒業後に大阪へ奉公に出たものの、
青年期に芦峅寺へ戻り、
山岳ガイドや狩猟などの
〝山の暮らし〟に入られたそうです。
素敵な笑顔ですね
[2]

大正13年(1924)5月、
秩父宮殿下の立山でのスキー登山の案内人として
選抜された時の写真とのことです。
大先輩の佐伯平蔵さん(右)、
佐伯八郎さん(中央)と共に
まだ若い宗作さん(左)が選ばれるのは
「大抜擢」だったそうで、
早くから山岳ガイドとしての実力が
周囲に認められていた証しといえます
[3]

大正13年(1924)7月10日、
剱岳の八峰第2峰を登る宗作さん。
明治大学山岳部の馬場忠三郎氏を
ガイドした折に、
氏が撮影された写真だそうです
[4]

昭和2年(1927)、
宗作さんの奥方・ヒデさん(右)と
ヒデさんの母君・ヤスさん(左)、
抱かれているのは
誕生直後の次男・宗信さん、
そして立っている子は長男の
宗弘さん(2歳)です。
昭和初めの芦峅寺における
女性と子供の服装や髪型などの
ご参考になればと思い、
展示しました
[5]

春の山で熊撃ち猟を行う宗作さん。
昭和3年(1928)か4年(1929)
と思われる(和起さんの推察です)写真。
かつての芦峅寺では、
熊は重要な狩猟対象でした。
宗作さんは当代随一の立山ガイドであると共に、
希代の名猟師であったといわれます
[6]

昭和4年(1929)ごろの
立山におけるテント泊の様子。
一番左はガイド見習いの
佐伯吉二〈きちじ〉少年
[7]

剱岳の八峰をガイドする
宗作さん(後)。
昭和4年(1929)ごろ
[8]

冬の剱岳頂上にて。
昭和4年(1929)初冬
[9]

昭和5年(1930)ごろ。
弘法〈こうぼう〉小屋にて。
熊のような大物ばかりでなく、
宗作さんはウサギなどの
小さめの獲物も
得意としたそうです。
そしてガイド中のお客さんに
ウサギ汁を振る舞うことが
多かったとのことです
[10]

昭和5年(1930)ごろ。
弘法小屋にて。
囲炉裏を囲んでの談笑。
普段は口数の少ない宗作さんでしたが、
猟の話になると
生き生きと語り始めたそうです
[11]

剱御前小舎が創建された昭和5年(1930)、
別山乗越〈べっさんのっこし〉にて。
右が宗作さんで、
左は8歳上の兄、栄作さんです
[12]

昭和5年(1930)か6年(1931)ごろ。
警察官が写っているため、
皇族もしくは華族を案内した際の一枚であろうと
和起さんは見ておられます
[13]

昭和6年(1931)ごろ。
弘法平〈こうぼうだいら〉で休憩中の宗作さん。
抱いているのは「飼いウサギ」だそうです。
地下足袋のつま先は現在のものと
あまり変わらない感じがしますね
[14]

宗作さん(左)と栄作さん(右)。
昭和7年(1932)ごろの春山。
立山ガイドはスキーを
いち早く登山に取り入れたとのことです。
[15]

初春の山で熊を追う宗作さん。
昭和7年(1932)ごろ。
人津谷〈ひとつだに〉上部の稜線直下にて