剣山荘 Gallery
-佐伯兵次さん満寿男さん時代-
Kenzanso
〝岩と雪の殿堂〟とたたえられ、
全国の登山者を魅了してやまない
北アルプスの名峰、剱岳。
その登山口に建つ剣山荘は、現在
佐伯友明氏(「ワオ!フル」代表のいとこ)の経営ですが、
創業は佐伯兵次〈ひょうじ〉氏で、
のちに長男の満寿男氏(「ワオ!フル」代表の叔父)が跡を継ぎ、
雷鳥沢ヒュッテの経営に移行する前年の
昭和63年(1988)まで営んでおりました。
兵次氏と満寿男氏が経営していた頃の写真データを
たくさん預かっているため、
この場でおいおいと紹介していきます。
わたくし(「ワオ!フル」代表)としましても、
小学校4年から高校1年までの夏休みは
剣山荘で毎年1ヶ月ぐらいを過ごさせてもらっていたので、
とても懐かしく感じます。
[1]

初代剣山荘。
満寿男さんの話では、
〝初代〟は次々と建て増しが行われていたとのことです。
左下に建て増し部分が見られることから、
昭和38年(1963)撮影の次の写真([2])よりも後に
撮影されたものでしょう。
その後、豪雨被害により、
昭和45年(1970)に現在地へ移転したため、
これは昭和40年(1965)ごろと推測されます。
創業者の兵次さんは昭和29年(1954)ごろ、
称名滝の八郎坂を上がってすぐの所に
「滝見小屋〈たきみごや〉」という休憩所を始めたものの、
ほどなくアルペンルートのバスが通って登山者が激減したため、
許可を得て昭和32年(1957)ごろに
この地へ移り、
剣山荘を開いたそうです。
そのような創業時のことは、
下の動画で満寿男さんが語っています。

満寿男氏に創業時のことなどを
インタビューした動画(vol.01)
[2]

余白部分に「昭和38年8月」と書かれています。
満寿男さんによると、
ヘリコプターでの荷揚げとしては立山では最も早い時期だったそうで、
「ヘリコプターというのを一回使ってみるか」ということで、
剱澤小屋と共同でチャーターしたとのことです。
最初はかなり高額だったそうですが、
他の山小屋も使うようになって
どんどん安くなっていったらしいです。
これらのことは下の動画で
満寿男さんが語っています。

満寿男氏へのインタビュー動画(vol.04)
この写真を他の山小屋のご主人に見せたところ、
「昭和三十年代に立山でヘリ?!」と
驚いておられたので、
剣山荘と剱澤小屋によるチャーターが最初期であったのは
本当のようです
[3]

「剱山荘」の看板が掛けられたところが
建て増しされているので、
こちらは写真[1]よりも更に新しい写真のようです。
とはいえ、次の写真([4])では
更にその部分に新たな建て増しが行われており、
また、先にも触れましたが、
前年発生した豪雨災害のため
昭和45年(1970)に移転しているので、
これは昭和40年(1965)~43年(1968)の写真と推測されます。
今は「けんざんそう」と読みますが、
創業当時は「つるぎさんそう」と読んでいたそうです。
漢字も「剣」ではなく「剱」ですね
[4]

前の写真([3])で述べたように、
右下に建て増しの形跡があるので、
更に後年の写真のようです。
昭和42年(1967)~44年(1969)といったところでしょうか
[5]

山小屋にいると、屋根にのぼりたくなりますね。
昭和40年(1965)ごろの初代剣山荘
[6]

同じく、初代剣山荘の屋根上でのひとコマ。
こちらも昭和40年(1965)ごろでしょう
[7]

初代剣山荘の食堂
[8]

[7]とほぼ同じ写真ですが、
ちょっと雰囲気が異なるので展示します
[9]

いよいよカラーになってきました。
美女3人に囲まれているのが、
創業者の佐伯兵次さん。
背後に写っている建て増し箇所の様子から、
写真[4]に近い時期と思われるので、
昭和42年(1967)~44年(1969)ですかね
[10]

美女といえば、
剣山荘で働く女性たち。
一番左が兵次さんの奥方です。
皆さん、ともて楽しそう。
まだ、初代の建物のようですね
[11]

こちらも奥方を含む剣山荘の女人衆。
建物も初代です
[12]

剣山荘の女人衆。
戸外にて
[13]

こちらが満寿男さん。
当然ながらお若い!
建物は初代のようです
[14]

ついに昭和45年(1970)移転・新築の
二代目建物登場!
前列中央の満寿男さん夫妻の様子から、
昭和48年(1973)ごろでしょうか。
初代の建物は、
昭和44年(1969)に立山一帯を襲った豪雨のために
使い物にならなくなり、
翌45年(1970)年に、もう少し高い所に移転・新築されました。
その「44年豪雨」の時はものすごい状況になったそうで、
下の動画で
満寿男さんが語っています。

満寿男氏へのインタビュー動画(vol.05)
[15]

満寿男さんはいませんが、
奥さんが写っています。
奥さんのダウンベストが同じようなので、
だいたい同時期かと思われますが、
ちょっと時間が経っている雰囲気があるのと、
次の写真([16)よりも少し前のような感じもあるため、
昭和50年(1975)ごろかなという気がします
[16]

満寿男さんの長男、じゅっちゃんも登場です。
奥さんのダウンベストは同じですが、
じゅっちゃんのお年頃から推察するに、
昭和52年(1977)ごろではないかと思われます。
写真にあるように、
玄関の前でジュースやビールを冷やして売っていました。
子供でもできることなので、私(「ワオ!フル」代表)も
よく売り子をしていました。
小屋のすぐ上のほうにある雪渓の雪解け水を引いていたため、
キンッキンに冷えていて、
下界より美味しいように感じたのを憶えています
[17]

出たーッ!! と言いたくなるくらいの
伝説的アルバイトがお二人も写っています。
一番右が「山田氏」さん、
その左が「原人」さんです。
お二人とも、私(「ワオ!フル」代表)の記憶のままのお姿なので、
昭和53年(1978)ごろの写真です
[18]

剱岳から下りてきた登山ルートからの
剣山荘の姿。
昭和五十年代ですかね。
厳しい登山を終えてきて、
この光景を目にしてホッとした方も
多いのではないでしょうか。
[19]

二代目剣山荘の厨房。
私(「ワオ!フル」代表)が行っていた時とは
流しの向きが違うため、
昭和52年(1977)よりも前の
撮影と思われます。
けっこう古そうな感じのモノクロ写真ということもあり、
確実な根拠はありませんが、
昭和四十年代ではないかという気がいたします。
当然ながらここも雪解け水を引いているので
絶望的に冷たく、
30秒くらい洗い物をしていると
後頭部が痛くなったり、
指が動きにくくなったりするほどでした。
ところが3日ほどこの作業に従事していると
かなり長い時間でも耐えられるようになるので、
慣れというのはすごいなぁと、
毎年驚いていたものです。
[20]

同じ方が写っているので、
写真[19]と同時期(同じ日?)の写真でしょう。
奥の壁に鉄板が貼られていることから、
あの辺りはガスコンロの設置エリアのようです。
[21]

これが記憶にある流しの向きです。
カラー写真になってもいますね。
だいぶ新しい時期のようです。
昭和53年(1978)ごろでしょうか。
奥の戸の右側は食堂です
この当時剣山荘を利用された方、
食堂からチラリと見えた厨房は、
こんな感じになっていたのですよ。
[22]

伝説的アルバイトの「山田氏」さんが
左側におられます。
右側の女性も私(「ワオ!フル」代表)の
存じている方のようなので、
これは昭和53年(1978)ごろの写真です。
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